2017年第Ⅱ期号 ▽▲ 娘の留学―ソウル探訪記― ▲▽

東京外国語大学に進学した娘が現在韓国のソウル大学に一年間留学中で、この連休を利用して家族でソウルを訪ねてみました。北朝鮮情勢が緊迫していたので、どうなることかと思いましたが、娘の友人が言うには、アメリカ人が帰国したら危険信号だからそうなったら帰ればいいという話に納得して、行ってみることにしました。

 

到着してみるとソウルの街は至って平穏で、全く平和な日常生活のままでした。一週間後に迫った大統領選挙関連で時折人だかりができている以外は、日本の街並みよりもむしろさっぱりした感じの印象でした。

 

宿泊した西大門辺りは道路が広く、違法駐車がないせいか交通量は多いものの日本ほどのひどい渋滞もなく、車の流れがスムーズに感じました。バス網が発達していて、右側通行の道路の中央にバス・レーンがあり、道路の中央に停留所が設けられている所も多く、違法駐停車の車をよけながら走る日本のバスに比べて遥かにスムーズな運行が為されているという印象でした。また、地下鉄網も整備されており、しかも、地下鉄からの乗り継ぎでバスを利用するとバス代がほとんどかからないという制度もありがたく感じました。日本も、公共交通網の利用を増やし、マイカーを減らす方策として検討してもいいのではないかという気もしました。旅行中、空港鉄道、地下鉄三、四回、バス数回の利用で千円かからないというのは日本では考えられないことです。

ソウル大学の広さには驚きましたが、設備の充実度もかなりのものです。国立大学を独立行政法人化して経営難に陥らせて、結果的に教育の質を落としているどこかの国とは違うみたいです。

ソウルの街を歩いて気付くのはカフェの多さです。しかも、日本のカフェよりも中が広々としていて、居心地の良さは抜群です。それと同時に気付いたのは、飲料の自動販売機が皆無であるということです。日本なら街中で見渡せば三つ四つの自販機がすぐ目に入るのとは全く異なります。コンビニはセブンイレブンも含めてまあまあ見かけましたが、自販機は全くありません。これが街の景観をすっきりしたものにしている大きな一因であることにも気付きました。娘が言うには、缶やペット・ボドルの飲料はどれもおいしくなく、学生の間でも誰も飲んでいる人がいないということでした。

 

食事は娘がアレンジしてくれましたが、学生がよく利用する安くておいしい店を友人からたくさん教えてもらっていて、娘もこの八ヶ月間で自ら試した中からベスト・チョイスしてくれただけあって、ガイド・ブックにないような面白い店をいろいろ経験できました。食事は安く済んだのですが、注文は言葉のできる娘に任せるので、ここぞとばかり娘はカフェで必ずケーキも注文するので、カフェ代の方が高くついたのは間違いありません。

 

中学生の頃から娘はKポップ好きで、その頃から始まった韓国語熱がそのまま大学の専攻にまで繋がってしまったのですが、その熱の入れようたるや半端ではなく、大学二年までにほぼ韓国語を完璧に使いこなせるようになっていました。韓国人の留学生からも「韓国人と喋っているみたい」と言ってもらえたことに気を良くして、高校入試まで一人で電車にも乗れなかった子が、大学三年から留学しようという気になったのです。

 

言葉は実際最初から通じたようで、韓国に着いてアパートを探しに入った不動産屋で転入届けのことを聞いたら、「それは外国人用だから関係ないよ」と向こうの人にも韓国人と間違えられるほどだったということです。

ただ、コミュニケーションに関して娘が面白いことに気付いていました。以前日本で、韓国からの優秀な留学生が、同じオーケストラ部に入っていて、仲良くしていたそうです。その留学生は、大学の日本語の講義も試験も全く何の支障もない位の日本語の能力があったのですが、時折、学生仲間の会話についていけていないという表情をすることがあったそうです。その後、オーケストラ部も辞めてしまい、娘は残念がっていましたが、日本人でも途中で退部する人はいるのだから仕方がないと思っていたそうです。

ところが、自分が留学して、韓国でカフェの店員のぶっきらぼうな問いかけも、アパートの大家さんの早口も聞き取れるようになった頃、韓国人ばかりの複数の友人達の話についていけない時があって、ふとそのオーケストラ部を辞めた韓国人留学生のことを思い出したというのです。

 

娘は日常見聞きしてわからなかった言葉は必ずメモしていて、後に「言語交換」という、韓国人で日本語を勉強したい人に聞いて説明してもらうという作業をかなり綿密に行っていました。「交換」ですから、自分も相手の日本語の質問に答えるということをやっているようですが、友達ではない第三者的立場の他人と言葉に関して日本語と韓国語で説明をし合うというのは、言葉の理解を深める上で大変貴重な経験になっているようです。去年の九月から留学して既に八ヶ月経過した今でも、今度質問する言葉のリストに七、八個のフレーズがメモしてありました。

 

慣れない頃は、友人達が盛り上がって笑い合っている席で、「今の話のどこにみんなそんなに受けているの」と話を中断して説明を求めるようなことをしていたのですが、親しくなればなるほど、せっかく盛り上がっている皆の話の腰を折るようなことは申し訳ないので、その場は笑って受け流し、後に言語交換の人に聞くようにしていったというのです。

そこで気付いたのが、コミュニケーションで重要なことは、言葉の辞書的な意味や文法に詳しくなること以上に、体験の共有ではないかということでした。相互理解のために言葉ができることはもちろん必要条件ですが、それだけでは真の理解は困難で、文化を共有できて初めて深い理解が可能になるという、国際化が加速する現代において非常に重要な発見をしたようです。

 

大学生どうしの他愛もない話ですから、文化の共有というと大げさですが、要するに小学校の時に同じ遊びをして、中学生の時に同じテレビドラマを見て、アイドルの誰それの歌が下手だということを知っているといった類の共通した体験があって、今の会話が成り立っているということです。そしてまた、今度はこの、今一緒に笑い合っている体験を共有していることが、大学時代の一ページとして蓄積されていくのです。

 

ところが、その中の幾つかの体験を自分がしていないと、今の会話に参加できずに疎外感を味わうのです。集団の同調圧力はこんなところにも原因があったようです。クラスの中で、中学時代は携帯を、高校時代はスマホを持っていない最後の一人になりながらも、同調圧力に屈せず平然としていた娘も、異国にあって圧倒的な少数派という弱い立場に立ってみると、流れに逆らわずに集団に同調して生きていく必要性を痛感したようです。お正月休みの間、帰国もせずにアパートに籠もって一人で日本と韓国のドラマをひたすら見ていたというのも、実は少しでも広く体験を共有できるようにするための努力だったのかも知れません。

 

帰りの空港で、搭乗手続きを機械でしようとしていると係のおじさんが近付いて来て家族全員の分をまとめてやろうとしてくれたのですが、その時もまたおじさんは娘に対してガイドかと尋ねていました。「ガイドと思ったんなら手出すなよ、これぐらいできるよ」と後で日本語でツッコミを入れていた娘は、もともとのせっかちな性格に磨きをかけていましたが、すっかりたくましくなっていました。残りの期間も元気に過ごしてくれることでしょう。