2015年第Ⅲ期号 ◇◇ 「やぎさんゆうびん」の終わらせかた ◇◇

♪しろやぎさんから おてがみついた
くろやぎさんたら よまずにたべた
しかたがないので おてがみかいた
さっきのてがみの ごようじなあに♪

 

小さいころ、みんな大好きだった「やぎさんゆうびん」。昨年、一〇四歳の長寿で他界されたまどみちおさんの作詞です。ふつう、歌は一番さえ分かっていれば「その歌知ってるよ」といえるのですが、この歌にかぎっては二番があってはじめて生命が通うのです。二番まで歌ったときに俄(が)然(ぜん)生きて動き出す不思議な歌なのです。

 

♪くろやぎさんから おてがみついた
しろやぎさんたら よまずにたべた
しかたがないので おてがみかいた
さっきのてがみの ごようじなあに♪

 

二番まで歌ったとき、だれもが突然さとります。この歌はいつまでも、何度でも繰り返されるほかない、終わりのない歌であることを。白やぎさんと黒やぎさんの無限に続く手紙のやりとりの中に、わたしたちも迷い込んでしまったのです。何度も何度も、一番と二番を繰り返しながら、子どもだったわたしたちは何ともいえない快感のなかにいたのではなかったでしょうか。もちろんこの繰り返しにがまんがならず、いらいらした人も居るでしょう。この歌は人の感性をテストする格好の試薬のようでもあります。

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小さな子どもたちだけの話ではありません。あなたの今の感じ方を吟味することもできます。たとえば、手紙のなかみは何だったのだろう、最初の白やぎさんの用事はいったい何だったのだろうと気になって仕方ないという人、いませんか? そしてこういう疑問をいだくあなたなら、きっと次に気になることはこうです。白やぎさんも黒やぎさんも、どうして自分の書く手紙の便せんとか葉書を食べたい、食べてしまいたいという誘惑に駆られなかったのだろう。だって今目の前にあるのは真っ白なきれいな紙なのですから。それだけではない、手紙を届けるゆうびんやさんはカバンのなかの手紙によだれを垂らさなかったのだろうかと。こんなことが気になりだしたら、もうあなたはこの歌の魔法に取りつかれているのです。

こういう理詰めの疑問を抱くあなたは、問題のなかに入りこむタイプの人です。そうして問題のなかにじっくり入りこんで … 残念なことではありますが、そうたやすくは答えは見つけられないでしょう。

意外にも、鋭く問題を突き詰めていくこのような「問題追究型」ともいうべきタイプの人は、繰り返す歌が心地よくていつまでも歌い続ける「全身没頭型」の人と同じで、この歌の世界の中に入りこみ、ついにその虜(とりこ)になってしまうのです。そう、問題のなかに自分がそっくり入りこんでいく点で、二つのタイプは同類だと言ってよいでしょう。

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あるいはこんなことを考える人もいるでしょう。

いったいいつまで続けるつもりだろう。どこかで断ち切らなければ、どこかで終わらせなければだめじゃないか。こんな風にいつまでも繰り返していてはいけない、だらだら続けてはいけないと。これは「一刀両断型」とでもいうタイプでしょうか。

こんなあなたにも同類の仲間がいます。白やぎさんの手紙を読まずに食べた黒やぎさんは悪い人だ。友達になんかしたくない。あわてて返事を書いたってもう遅いさ、白やぎさんは君なんか相手にしないよ、いっそそんな手紙は食べてしまうさ、とそう考える人です。「白」と「黒」で正と邪を選り分ける「善悪区別型」と呼びましょうか。「一刀両断型」と「善悪区別型」、どちらも歌の世界に深入りはせずに、その外にいて解決しようとしているのです。

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わたしは思うのですが、こんな「やぎさんゆうびん」への二種類の感じ方は、実はわたしたちが出会うどんなことにも当てはまるようなのです。

たとえば受験猛勉中のあなた。もしかしたら問題が解けず堂々巡りにはまっているかもしれません。あるいはこの夏に大きなステップを踏まなければならないのに、その一歩がなかなか刻めずにいるかもしれません。覚えなければならない知識がなかなか定着せず、何度も何度も繰り返しているかもしれません。そう、あなたは勉強の「やぎさんゆうびん」の中にいるのです。

先ほどの二つのタイプは、こんな「やぎさんゆうびん」状態に入り込んだあなたの、問題への向き合い方の違いを示しているでしょう。勉強の中に入り込み、その反復・繰り返しに耐え続けるか、それとも一歩下がってその舞台から降り、深入りせずに何か別の形で解決する道を見つけようとするか。

さて、あなたはどちらの側に立つでしょうか。

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わたしたちの受験勉強とは全く異質なはずの政治や社会の世界でも、同じように二つのタイプを見いだすことができそうです。

二〇〇一年九月、アメリカ合衆国でテロリストに乗っ取られた複数の旅客機が、ニューヨークの貿易センタービルなどに突入し、三千人以上の死者を出すという恐ろしい事件が起こりました。アメリカ国民が受けた衝撃はもとより、世界中に走った恐怖と憤りは測り知れないものでした。

事件から九日後、当時のブッシュ大統領はアメリカ合衆国議会で演説しました。テロとの戦いを宣言したこの演説の前、大統領は「なぜアメリカはこんな恐ろしい攻撃の目標にされたのか、なぜわたしたちはこんな目に遭わなければならなかったのか」と理不尽な犠牲に悲嘆に暮れ、怒り、困惑する国民に対してはっきりした言葉をもって語りたい、明確な説明をしたい」と予告していました。テレビ中継を前に、私も期待をもってこの演説を待ちました。その核心のところで、大統領は次のように語ったのです。

「皆さんはこう尋ねるでしょう。『なぜ彼ら【注:テロリストたち】は私達を憎むのだ?』と。彼らが憎んでいるのはたった今、この議会で行われていること、つまり民主主義の政府です。彼らが憎んでいるのは、我々の自由です。宗教の自由、言論の自由、投票できる自由と、集会ができ、互いに異なる意見を持つことのできる自由を、彼らは憎んでいるのです。」と。

満場を埋めた上下両院の議員が立ち上がり、万雷の拍手で大統領の演説を賞賛する光景を見ながら、わたしは不思議な違和感に取りつかれていました。テロリストは民主主義と自由を憎み、その邪悪な意図をもって、世界で最も自由を実現している、自由の守護者であるアメリカを攻撃したのだ。われわれは負けない。むしろ今こそ自由のために戦うのだ、と。まもなく始まるアフガニスタンへの介入と、二年後に始まるイラク戦争への事実上の戦争型」の思考です。ブッシュ氏は「やぎさんゆうびん」の外側にいるのです。

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映画の世界に喜劇王として名を残すチャールズ・チャップリンの監督・主演の代表作の一つ、「独裁者」は、ドイツのナチス政権の蛮行をまだアメリカ人がそれほど深刻に考えていなかった一九四〇年に公開され、ナチスとその指導者ヒトラーの危険を人々に深く印象づけた映画です。たまたま独裁者とそっくりさんだったため、取り違えられてひょんなことから国民を前に演説しなければならなくなったユダヤ人(それはヒトラーが深く憎み、この映画の年にはすでに強制収容所で虐待され殺され続けていた民族です)の床屋が、自由の尊さを切々と訴えるクライマックスのシーンは、わたしにはブッシュ氏の演説と好一対をなす、「もうひとつの自由をたたえる演説」と思われます。切れ切れのつぎはぎの引用になりますが、こんな演説です。「私の声は、世界中の失意の人々にも届いている。数百万もの男女、幼い子供たち、そして、人々を拷問して罪なき人々を投獄している組織の犠牲者にまで。彼らに伝えよう、絶望するなと。独裁者によって奪われた力は、必ずや大衆が取り戻すだろう。自由は決して滅びない。自由のために戦え。(fight for liberty)」

抜け出せない、救いようのない絶望の中にいる人々に、チャップリンはその困難の中で、今このときに戦おう、と呼びかけます。ブッシュ氏は「自由」をFreedom ということばで語り、それは当然の権利だと言いました。チャップリンは「自由」をlibertyという言葉で語り、今は奪われていてまだ実現されていない目標だというのです。

これこそ「問題追究型」であり「全身没頭型」の思考です。チャップリンは「やぎさんゆうびん」の内側にいるのです。

 

(紙面の都合上、写真は掲載できません)