2011年第Ⅲ期号 ▲▽ 読書感想文『教科書の中の宗教―この奇妙な実態』藤原聖子 岩波新書 ▽▲

2011年 第Ⅲ期号

 ▲▽ 読書感想文『教科書の中の宗教―この奇妙な実態』藤原聖子 岩波新書 ▽▲

胡子俊英

この本は、教科書の中の宗教に関わる記述の分析を通じて、日本の教科書が抱える様々な問題を提示しています。筆者自身が高校の倫理の教科書の執筆を担当し、多くの関係者の生の声を聞いた経験から繰り出す様々な指摘には、喝采を送りたくなるものがたくさんあります。その中で私が採り上げたいのは、「日本の教科書が生徒に考えさせることよりも正解を与えるスタイルをとっている」という教育の根幹に関わる重大な指摘です。

先日、塾で数学を受講していない高三の生徒に、ある数学の公式がどうしても覚えられないと相談を受けました。専門外ながら受験生時代にはS台模試で数学偏差値79まで出した体験から、「自分で公式を証明しておけば自然と身につくものだよ」とアドバイスしました。その生徒は学校では証明を教わらず、公式だから覚えろと言われただけでした。たとえ答が一つに決まる数学でも、公式丸覚えではなく理解して頭に入れていくのが当然正攻法です。能率重視の学習だけでも乗り越えられるレベルはありますが、日本の教育全体が、教科書という形で「一つの正解」を提示して、それを覚えることを「勉強」だと思い込ませ、その能力の高い生徒がエリートになれる現実は、決して好ましい状態とは言えません。原発問題がなかなか終息しないのも、想定外の事態に対する適応能力に欠けた政治家や科学者が増え過ぎたからとは言えないでしょうか。

自我意識が確立した時に、「自分とは何か」と問うのは人類普遍の経過です。しかし大抵は自己意識の根拠を追究しても答は得られないし、哲学を(かじ)っても「我思う故に我在り」といった言葉で煙に巻かれて普通は考えることを諦めます。宗教も考える手掛かりですが、今の日本の社会での位置付けは微妙過ぎて頼りにならず、結局自分の頭で考えていくしかない現代人には、エゴイズムとニヒリズムがつきまといます。

宗教に無縁に見える生活を送る大多数の日本人でも、自分の無意識の裡に浸透している様々な価値観を意識化しておくことは、生きていく上で不可欠のことです。ましてや、規範を覚え込むことで世俗的成功がある程度実現できる日本の社会で、自分の価値観がどのようにして構築されたかを把握しておくことは、一つの重大な生存の意味と思わずにはいられません。

学習指導要領も、それに基づいて作られた倫理の教科書も、宗教を題材として、頻りに我々の死生観や世界観に影響を与えようとしているのが、本書からよくわかりますが、世俗の価値観に追随した無難な価値規範の刷り込みにしかなっていないがために、かつての私のように、実存の問いに悩める高校生の心に響く内容になっていないのは、甚だ残念なことです。

そして更に、我々が教科書によって一つの正解を与えられることにあまりに慣れ過ぎているため、自分の頭で考えて問い続けるということが苦手になってきているという恐るべき事態にも気付かされます。例えば、哲学少年だった私でも、こんな不透明な時代にあっては、何を拠り所にすればいいのか、誰か教えてくれ~!と叫びたくなるというのも、実は、一つの正解を与えられることに慣れてしまった、日本の教育の弊害そのものかも知れません。

このように、本書が、改めて自分の生き方を問い直す契機となり、問い続けることの尊さを思い出させてくれたことに大変感謝しています。

筆者には、別に『世界の教科書でよむ〈宗教〉』(ちくまプリマー新書)という著書もあり、こちらの方は、世界の教科書から、正解を提示するだけではない、考えさせる教材が幾つも挙げられています。筆者が(前回同様)館山塾講師陣と深く関わる人物であるという身内の事情を抜きにしても、是非お薦めしたい本です。