2012年第Ⅳ期号 「館山塾の3.11」を振り返る

2012年 第Ⅳ期号

 

「館山塾の3.11」を振り返る

国語科・三輪

 

2時46分。地下鉄神保町から地上に上がる階段。最初は眩暈(めまい)(受験がひと段落した時期にありがち)と思うも、「地震!?」「でかい!」という周囲の声で事態把握。猛ダッシュで駆け上がると、出口近くの電信柱が大きく揺れ、気が付けば背景のビルもゆっくり揺れている。割れた窓ガラスが上から降り注いで来そうな予感から、地上に出る勇気はなく階段の一段目で待機。後から上がって来る乗客たちに外に押し出されないように、「今、地上に出るのは逆に危険です」と妙なリーダーシップを発揮して周囲を落ち着かせつつ、自分はしっかり先頭をキープ。「蜘蛛の糸」の陀多もまだまだ素朴に思えるあさましさに、我ながらタメ息。お釈迦様もたぶん。

長い揺れの後、神保町古書店街は総じて静穏。ただ、一部の店の内部通路は、書棚から崩れた本の山。比喩ではなく本物の「山」。あの下に人がいないか心配になるが、それを店の外から写メで撮っている人がいるのに驚く。ピューリッツァー賞『ハゲワシと少女』が頭をよぎるが、とにかく生徒に頼まれていた本を今日中に手に入れなければと、三省堂へ。

ところが、いきなり入り口で侵入をはばまれる。「店内は本が散乱しており、本日は営業できません」との丁寧な説明に、こちらも生徒との約束を守らないわけにはいかないので「大丈夫です。6階のどの棚にあるかまで分かっているので、自分で拾って来ます」と店員の脇を笑顔ですり抜けようとすると、「本当に危険なのでやめて下さい!」と厳しく怒られる。この齢になってぴしゃりと叱られるのはみっともないけれど、相手の言うことがもっともだし、しょんぼりしているわけにもいかないので、あっさりあきらめ、館山塾に向かう。別の生徒と4時から特別個人指導の約束あり。

3時15分。日大の前まで来たところで大きな余震。十字路の真ん中が安全だと思うのか、学生たちがそこに集まり、おびえながらも妙にテンションが高い。原爆投下直後の広島を描いた、原民喜の「夏の花」に出てくる「かえって元気そうに喋り合っていた」女学生たちの描写と重なる。「元気」自体は、良いか悪いか以前に、若さの持つ跳ね返す力、乗り越える力と信じたい。私もすっかり爺さんだ。

館山塾に到着。いつも通りの光景にほっとする。何の変化もなくて、逆にびっくりするくらい。ゼロックスのコピー機の位置が若干動き、声の教育社の高校入試問題集の何冊かが棚から少しズレたとのこと。That’s allただそれだけだというハードボイルドさ。特に事前に生徒の座席近くの棚を全て低くし、ガラスに飛散防止フィルムを張っておいたのは正解と、改めて実感。

ただ、自分たちは無事でも、携帯のワンセグが伝え始めた被害の大きさにショックを受ける。

4時前に約束していた生徒がやってくる。短期海外留学のために春期講習を欠席せざるをえないので、それを先取りしておきたいという意欲的な生徒。とはいえ、さすがに今日は帰そうと思うも、お母様が迎えに来るまで逆に塾に居た方が安全とのことで、二人で勉強開始。

ほぼ同時刻、塾長判断で本日の休講が決定。事務を中心に出勤した全職員で、生徒の家庭に電話・メール連絡開始。私も特個と並行させて自分の金曜担当クラスの生徒宅に片っ端から電話。館山塾全体が逆コールセンターと化すも、回線規制がかかっているのか、かけてもかけてもほとんどつながらない。あせる。講義が通常通りに行われると思った生徒が無理してこちらに向かい、万が一にでも危険な目に()ってはいけないし、となれば一人残らず全員に休講をしっかり伝えない限り、職員も帰るわけにはいかないので、ひたすらピポパポとプッシュ、プッシュ、プッシュ(「リダイヤルボタンありますよ」のやさしい声)。

ようやく何とか全員に連絡出来たのが7時過ぎ。その間、特個の生徒のお母様が、歩いて塾まで迎えに来てくれたのに、休む椅子も用意しなかったこちらのホスピタリティのなさを反省。

板橋区志村坂上まで11.5㎞を歩いて帰る私だけ少しお先に退社。埼玉から来ている原田先生は神楽坂の粟生田先生宅に避難し、塾長や事務の酒井さんは念のため8時近くまで塾に待機し、父兄からの問い合わせなどの対応にあたった模様。

自宅で地震の後片付けを先行してくれている妻から、帰り際に夕飯を調達してくるように頼まれていたため、すぐに館山塾近くのコンビニに寄る。しかし、すでに完全に出遅れ。食品どころか商品がほとんど並んでいない空っぽ状態。三軒回っても同じ。まるで「明るい廃墟」。突然不安になり、この状態でも大量に売れ残っていたスティック・コーヒーをなぜか買い占める。ついでに普段飲まないチャイティー・ラテの粉末までも購入。店を出た後に、なぜこんなものを買ったのか自分でわからず、少し愕然(がくぜん)とする。落ち着け自分。

水道橋から「白山通り」を北上。今まで見た事のないほどの多くの歩行者が歩道にあふれている。車道の車の列は、ほとんど動いていないように思えたので、バスやタクシーに乗る選択肢はきっぱり捨てる。白山通りは歩道が広く歩きやすい。ただ、「白山下」交差点を渡り、京華女子前を通過し、明化小学校近くの歩道橋のあたりにまで差し掛かった段階で、やや歩道も狭まる。右や左によける形で前の歩行者を追い抜けなくなると、「自分のペースで歩けない=一番遅い人にペースを合わせる」法則に全体が支配されるので、ここで白山通りをやや左に逸れ、千石図書室館に抜ける裏道を選択する。火災などが生じている場合は細い道の危険性を考える必要もあるだろうけれど、この日は結果的にこちらが正解だった。多くの歩行者が白山通り(国道17号線)に集中するのを横目に、不忍通りを横断し、「モヤモヤさまぁ〜ず」の商店街を一気にハイペースで歩き抜け、巣鴨を目指す。

ワンセグで地震関連のニュースを見たり(偉いぞガラパゴス携帯。それに比べると現在私が使っている「銀河」という名前の付いたスマホのワンセグは、受信能力がちょっと「?」)ネットで三田線が運転再開していないかチェックしたりしながら進む。いつも携帯予備電池二個持ちの慎重さが活きる。

巣鴨駅前では100均ショップでヒールのある靴をビニールサンダルに履き替える女性を複数目撃。季節外れのビーチサンダルや、昭和の小学校のトイレでしか見たことがないような危険な色彩の物体までもが売れていく。

17号は北への民族大移動。私は地蔵通りに。

地蔵通り商店街のパン屋さんでついに食料ゲット。自分のところで作れる店は、品切れがないのか、こういう時には強い。五つほどパンを購入したら、さらに三つも笑顔でおまけしてくれた。これぞ、日本人のやさしさ。でも、三つとも苦手な揚げパン。Oヘンリー『賢者の贈り物』とげぬき地蔵バージョン。

庚申塚(こうしんづか)まで来ると、聞きなれた警報が鳴り始め、遮断機が下りてきた。まさかの路面電車通過。都電荒川線が動いている! 何事もないかのように動いている。夜の闇の中を神々(こうごう)しいまでの光を放ちながらの通過。庚申塚の奇跡。東京の電車の中で都電荒川線最強説浮上。

大正大学の西側で明治通りを横断し、埼京線板橋駅を通過し(JRは依然全く動く気配なし)、北園高校の南側で再び17号に合流。相変わらず幹線道路の歩道は人々であふれているため、私は迷わず中山道の旧道を選択。仲宿商店街を江戸の飛脚のごとく進んでいると、すごい人だかりの店が。自転車が飛ぶように売れるサイクルショップを見たのは、たぶん人生で初。客の行列に対して明らかに自転車の組立てが追いついていない。私は家まで残り3㎞ほどだけど、荒川を越えて埼玉方面に帰る人にとっては、自転車が手に入るかどうかは、確かに天と地との差かと。

結局帰宅は9時。自分のデスク回りで本が散乱しているのにショックを受ける。なのになぜか、分類せずに放っておいたサッカーカードから片付け始め、妻から「大丈夫?」と心配される。

 

先日お知らせした通り、館山塾では待機用の水や食料も備蓄しています。「帰る」選択肢も、「塾内で待機する」選択肢も、両方を確保できるように。そして、私は今年から一日10㎞、月間300㎞の運動を自らに課しています。例えば、旧中山道を歩く「志村坂上~鴻巣」は39.6㎞6時間51分、山手線徒歩一周は40.7㎞で7時間18分でした。とりあえず、万一の時には塾と自宅を二往復できるくらいの体力は維持していたいし。それは自分が生き延びるためというよりも、いざという時に少しでも塾生の安全のために動ける自分であるために、と言ったら少しイケメン過ぎるでしょうか。実は聖路加の人間ドックでメタボを屈辱的に叱責されたから、とどうかバレませんように。