2009年第Ⅳ期号 ▲▽ 受験シーズンを前に ▽▲

2009年 第Ⅳ期号

 

 ▲▽ 受験シーズンを前に ▽▲

胡子俊英

 大学のAO入試の二次試験で「外国人看護師・介護士を受け入れる政策に対する意見を述べよ」という課題を生徒と一緒に調べていて、高齢者介護の現場の人手不足解消には必要だという意見と、介護の労働条件が悪いから人手不足になっているのに、その点の解決を図らずに賃金が安くて済む外国人労働者に頼るという対策は本末転倒だ、という反対意見があることがわかりました。ところが、賃金や労働時間といった条件を整備するだけで人材が集まるかというと、決してそう単純ではなく、介護する方もされる方も、お互い早く死ねばいいと思ってしまいがちな今のあり方そのものが不幸であり、誰もが老いて死んでいかねばならない現実を直視し、高齢者の介護という仕事そのものに対する見方を変えていく必要があるというところまで考えが広がっていきました。社会的な政策はまず経済的な問題が表にありますが、その根にも人の死生観に関わる問題が潜んでいること、そして現代社会は、人の死生観を深く考えさせようとはしない方向に流れている気がしてなりません。

AOや推薦入試は、普通の高校生が考えない課題を与えて考えさせてくれるので、こうした制度の教育効果は抜群だと思うのですが、現実は一般入試では学力が届かない生徒の受け皿になっているだけで、その教育効果を評価する声はほとんど聞かれません。

大学二年生なる息子(館山塾に三年間在籍し、東大文科Ⅱ類に現役合格しました。詳細は昨年の塾報に連載しましたので、館山塾のホームページのバックナンバーでご覧戴けます)が、経済学は勉強すればするほどつまらないと言って、結局教育学部へ進学することにしたようです。息子が言うには、東大は確かに点数を取る能力に長けている学生は多いが、人間的魅力に乏しいことを嘆いています。それは自分自身に対する反省でもあるのでしょうが、息子は音楽に没頭することでバランスを取ろうとしているようです。

ところが、所属しているオーケストラでも、多くはブルジョワでその功利的な価値観が彼らの音に現れているが、その点を指摘しても彼らは理解してくれない、と嘆いています。技術は訓練すれば向上しても、そうした人間の本性のようなものはどんなに訓練しても音に出ると言うのです。

これに対しては、ラーメン屋でバイトをしている息子のことですから、そのブルジョワ嫌いが偏見となって、音を歪んだものに聞かせている可能性も否定できないのですが、経済一辺倒の現代社会と、それに順応しようとする多くの若者達に反発しようとする気持ちは理解できます。

何も考えずに勉強だけする時期も若い頃には必要です。しかし、どこかでじっくりと死生観を問う時間も必要です。時間内に正解を導く反射神経的能力ばかりに長けた若者を育ててはいないか、というのが私の常に自問していることです。合格至上主義に陥りがちな塾の指導ではあるのですが、それだけではない何かを生徒達に伝える指導を模索する日々は今日も続きます。