2011年第Ⅱ期号 ▲▽ ベン・マイケルソン著『スピリットベアにふれた島』を読んで ▽▲

2011年 第Ⅱ期号

 

▲▽ ベン・マイケルソン著『スピリットベアにふれた島』を読んで ▽▲

胡子俊英

 

文学作品を要約するなどという作者に失礼なことはしたくないのですが、物語は、傷害事件を起こした十五歳の少年が、裁判ではなくサークル・ジャスティスという地域の懇談会のような場の決定で、アメリカ先住民の世話役の保護観察の下、アラスカの無人島へ島流しにされ、厳しい自然の中で生まれ変わっていくというお話です。

一番驚いたのは、アメリカの司法制度の中に先住民の智恵が活かされた手法が採り入れられていることです。少年犯罪の多さが日本の比ではないであろうアメリカでは、懲罰ではなく、教育的な刑罰を実践していこうとするのはなるほどと思いますが、アメリカ先住民の魂の救済法を採用している州があるというのは驚きです。

物語の中で、主人公は、熊に襲われ瀕死の重傷を負い、食べる物もなく、生死の境界をさまようことで、それまでの都会生活では見えていなかったものが見えてくるようになります。「自然との一体感」が人を動かすという話はよくあるものですが、単なる観念的な理解を超えて、大自然には人を変える力があることを知るのは、我々都会人には必要なことに思われます。

宗教学者の中沢新一が、原子力発電は、自然界から無限のエネルギーを搾取していながら、自然に何のお返しもしていないことに危惧を感ずるというようなことを何かで書いていました。

もともと人類は、自然からの恵みで生かされ、自然に感謝と祈りを捧げることで、自然と調和して生きてきました。おみこしを担ぐ祭りにしても、その年の収穫に対する神への感謝と祈りを捧げることに始まったものが、田んぼもない都会でいまだに残っていることに、その力の大きさを感じます。

今時、龍神への捧げ物として、村の娘を人身御供にすることはあり得ませんが、今回の震災に際し、自然からエネルギーを搾取しておいて、何の感謝も祈りもない現代社会が、自然から巨大なしっぺ返しを食ったと考えるのは、あまりに時代錯誤な考え方なのでしょうか。

この物語にあるように、現代社会が忘れ去った先住民の智恵を活かして、現代が抱える少年非行の問題に対処しようとする姿勢に触れて、ふと連想が広がっていきました。

世界中に浸透した資本主義の論理を無視して、震災後の復興もあり得ませんが、伝統的な智恵を結集することは、この物語のように実効性があるのではないかと思います。特に、自然と調和して何千年も平和に暮らした縄文の智恵や、戦乱の世の中で養われた無常観、そして鎖国して二百年以上も自給自足で豊かな文化を築いた伝統を持つ我が国が、古くからの考え方の中から現代に活かせるものを再生させることで、現代社会が抱える解決困難な問題にも対処する力が湧いてくるのではないかと、思ったのです。

『スピリットベアにふれた島』は、全国図書館協議会の読書感想文全国コンクールの中学校の部の課題図書にも選ばれています。また、訳者は館山塾の高校の部、英語科の原田先生です。ちょっと宣伝も兼ねて紹介させて戴きました。